このエントリの内容は重いです。気分のすぐれない時や、ステートが低い時に読むと更に気分が落ち込んでしまう場合もあります。
そうなりたくない方は、このページを閉じてください。
私の母は今、長期入院の療養型病院に入院してています。
そして緩やかに終末に向かっています。
今は、私が来たことはわかりますが、話しかけても返事はほとんどありません。
この状況は心のことを学んではいても、平静ではいられずにざわざわします。
それに加えて、母の半生
太平洋戦争中にB29の空襲で死を覚悟し家も焼かれたこと
最初の子供は幼くして亡くなったこと
父のDVと確執
についても知っているので、「母は愛されない、かわいそうな人生だった」という思いがあります。
この「とっ散らかった」自分の内側を整理したいと思い、昨年LPL養成講座でお世話になった岡部明美さん(以下、講座での呼び方のあけみちゃんと記載します)の個人セッションをお願いしました。
そこでいろいろと分かったことがありましたので、ブログとして残しておきたいと思います。
母はかわいそうな人だったのか? どうやって知るか
母は自分のことをかわいそうな人と思っていたのでしょうか?
もちろん、話ができる状態であれば本人に聞いてみるのが一番早い方法です。
しかし母の場合は、そもそも話しができる状態ではなく、また認知症もあるので質問の意味も分かってはもらえないと思います。
なので、セッションでは 心理・精神療法の中の一つ、ゲシュタルト療法の中で開発された「エンプティチェア」というメソッドを用いて母の考えや気持ちを確認します。
ざっと方法を説明すると、空の椅子を2つ用意し、それぞれを私と母の席と決め、そこに交互に座り対話します。
この時、大切なことは、母の椅子に座った時に「母ならなんと言うだろう? どう考えるだろう?」と推測するのではないという事です。
あくまでも今その場で、「私が」椅子に座ってみた時に感じた事にフォーカスを当てて、それを言ってみる事です。
予めシナリオの決まったロールプレイではありません
母はかわいそうなひとだったのか
エンプティチェアで自分の椅子と母の椅子とを往復して対話して分かったことは、
母は「自分のことをかわいそうな人と思われるのは非常に違和感があるし納得かない
ということです。
自分は愛されなかったけど、子供のことは愛した。自分の価値観と自分なりの愛情表現でそれを形として残した。
それにはっきりと気づくことができました。
ではなぜ私は母のことをかわいそうな人生というレッテルを貼ったのか
その理由は、私の潜在意識で「私がかわいそうな人生を歩んでいる人」としたいからです。
もちろん潜在意識の中で自己をそう定義したので、健在意識ではそんなことはまったく考えていません。
ただし、潜在意識の中の「私はかわいそうな人生を歩んでいる人」という思い込み(=ビリーフ)の投影として、現実世界(健在意識の世界)に「かわいそうな人生を歩んでいる人」と決めつける人がでてきます。
(自分の内面の投影です)
ではなぜ潜在意識は「私はかわいそうな人生を歩んでいる人」としたいのでしょうか。
わざわざ私をかわいそうな人と思う事でメリットはあるのでしょうか?
それを解き明かすのが、ビリーフの考え方です。
ビリーフについては、カウンセラー/作曲家 大塚彩子さんの公式サイトに詳しく書かれていますのでそちらを参照ください。
「私はかわいそうな人生を歩んでいる人」としたいその理由は
「私はかわいそうな人」という理由をたくさん見つけて、その思いを確かにすることにより
私の持つコア・ビリーフ(自己否定の根源)の
・私は存在してはいけない
・私は見捨てられる
の証拠を確かなものにして、その思いを強化したいからです。
そこで、潜在意識は自分を取り巻く世界がこの2つのコア・ビリーフの通りなるために、現実世界にその思い込みの証拠となるような出来事を見せます
で、どう行動するか
母が私の事を愛してくれたのは事実です。
自分はそれを 兄の代役であるとかグダグダ言ってないで、ありがとうと言って受け取ります。
そして母を英雄視もしないし、かわいそうな人とも見ない。
母の人生を過大でも過小でもなく、そのままの姿で認識し、全体像をみて感謝する。
もう一つ、私の持つコア・ビリーフ
・私は存在してはいけない
・私は見捨てられる
についてですが、あけみちゃんのセッションの後にも自己探求を進めたらほぼ手放す事ができました。
それについては、長くなるので別のエントリとしたいと思います